2015年3月22日日曜日

花蓮「嘆きの壁」  日本人の痕跡を訪ねる

領台当時の日本は貧しく、農村の人口過密問題解消や、南洋進出の試験地の目的をもって台湾東部海岸に豊田村 吉野村、林田村の農業移民村を大正初年に作りました。

新天地開拓の意気込み持った移民たちは台風や気候風土、伝染病等に悩まされながらもそれらを克服し開拓を進めていきました。現在も、ぽつりぽつりと残る日本式家屋に日本の痕跡がみてとれます。

そんな豊田村の一角に悲しい物語が有ります。時は過ぎ、十数年前、高齢の女性が加わっていた観光ツアーが花蓮を訪れました。添乗員の好意で生まれ故郷の豊田の地を踏むことができた彼女は昔のことを尋ね歩き、ある家の壁の前にたどり着きました。
壁に寄りかかるようにして泣き崩れる彼女に地元の老人が仔細を尋ねると、女性は壁にうっすらと残る「田原」という字を指してこう語ったそうです。
『母親が身ごもり、喜んだ父親は家を拡張することにした。ところが思いがけぬことに母親は難産で亡くなり、悲嘆にくれた父親がまだ乾かぬコンクリート壁に指で書いた文字が之です
以来、豊田の人々はこの壁を「嘆きの壁」と呼んでいます。
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