2013年1月29日火曜日

今日の台北は晴れです(^^)

おはようございます!
ペンション悠遊村から見るご来光(?)、荘厳さはないですが、朝焼けは気持ちの良いものですね。

「ペンション悠遊村」サイトへの移動ボタン

2013年1月27日日曜日

MRT圓山駅前の和風建築

MRT圓山駅前に一棟の和風建築がお粗末ながらも保存されています。
圓山駅には花博の跡地公園や市立美術館、保安宮、孔子廟、臨済護国禅寺が有り目にされた方もいらっしゃるでしょう。
MRT淡水線は台鉄の線路敷地を利用しています。そのような分けで、この和風建築は駅長さんの宿舎という事らしいです。


「林語堂紀念図書館」

「林語堂」氏は中国文化精神を西洋に紹介した20世紀の第一人者で、言語学者、思想家、文学者、旅行家、発明家といった様々な顔を持つ人物です。

青い瑠璃色の屋根瓦と白い壁が素晴らしいマッチングだ。西洋風アーチの入り口をくぐって中へ進み回廊に出ると吹き抜けの中庭が広がる。中国の伝統的な四合院住宅スタイルだがスペイン風の建築デザインが取り入れられており全体的な雰囲気は南欧に来たように感じます。

氏はこの眼下に広がる「天母」の景色をこよなく愛されたようだ。




旧暦で正月を祝う習慣

今年の春節は2/10です。
「*日本語人」に日本時代の正月についてインタヴューしました。ここ台湾では戦前戦後を通じて旧暦で正月を祝っていたとの事で台湾総督府は現地習慣文化を尊重する姿勢を取っていたようです。

ただ皇民化政策(1937年ごろ~)が始まる頃からは新暦での正月を提唱していたようで、春節の頃は官庁、会社関係などは職員が休みを取りにくくしていた様です。ただ台湾人は長年の習慣は捨てずに旧暦で春節行事をしていました。

*「日本語人」という造語は詩人の大岡信さんが台湾の日本語世代の人達を語った言葉です。

2013年1月24日木曜日

「金蓬莱」 ★★★

「金蓬莱」 ★★★

天母に有るこの店の名物料理「佛跳牆」は乾物を主体とする様々な高級食材を数日かけて調理する福建料理の伝統的な高級スープで、これを食べに遠くは台北南部からも訪れるそうです

名前の由来は「あまりの美味しそうな香りに修行僧ですらお寺の塀を飛び越えて来る」ということらしい。私はあまりの美味しさに跳び上がりました(笑)。

高雄で食べる海鮮料理

悠遊村お泊りの御客様の要望で新幹線に乗って海鮮を食べに高雄へ行く。高雄在住食通のアテンドで行くその店はわざわざ新幹線で行く値打ちの有る店です。お目当ての蟹&魚は食べる事ができました。

マングローブの植生する淡水と海水の境目で獲れる蟹(処女蟹)、獰猛な顔をした珊瑚礁に棲みつく魚( 鸚鵡魚)、いずれも絶品。希少な魚介類なんで食べる事が出来ればラッキーと云う事。

目的の店はフエリーで島に渡ります。地元TAXIも乗り場を知らない様な穴場中の穴場。

処女蟹
 鸚鵡魚

「アクセス」高鐵左営→MRT凱旋→taxiにて前鎮渡輪乗場
「フェリー乗場」
  前鎮渡輪乗場    新生路225号  07-841-3048
  運行時間       1H1本  11時 12時 13時 14時10分
  料金          15元
「お店情報」        11時オープン
「お勧め料理」      処女蟹  鸚鵡魚

ペンション悠遊村サイトへの移動ボタン⇒「ペンションBC悠遊村

2013年1月23日水曜日

景美人権博物館

ボランティア解説員「郭振純」さんの大変貴重なお話をお聞きいたしました。台湾の暗黒の歴史「白色テロ」関係を伝えるところでは歪曲されずにまともに展示されている施設かも知れない。
「郭振純」さんに電話で予約をとられる事をお勧めいたします。ご連絡いただければ電話番号はお知らせいたします。


郭振純さんと深い関わりのある珈琲の赤い実は少し苦みのある甘い味でした。 
郭振純さんと恋人。「彼女は処刑されました」と淡々と語られる言葉の重みに私は思わず・・・・・

2013年1月19日土曜日

日本旅館「梅屋敷」 「国父史跡館」「逸仙公園」「大和宗吉」

日本旅館「梅屋敷」 ★★
孫文は3度台湾を訪れております。この建物は1913年2度目の来台時に宿泊した「大和宗吉」が営む日本旅館「梅屋敷」を再現した建物です。「梅屋敷」の由来通り往時は梅が咲き乱れていたのだろう。訪れた時は蕾の状態でした。案内の人は、もう少し経つと白とピンクの花が咲き綺麗ですよ、と言っていました。
【建物】1900年(明治33年)竣工。市定歴史建築。
【設計】
【場所】MRT台北徒歩10分。台北駅東方500mの中山北路と市民大道の交差点に位置しております。
孫文は日本風に言うと 姓は孫、名は文、字を逸仙、号を中山と言いました。




「梅屋敷」は日本人「大和宗吉」が1900年に建築した4面を縁側に囲まれた約50坪の長方形平屋建ての日本旅館である。旧址は現在地より50m南西の地、日本時代は御成町と呼ばれた地にあった。地下鉄工事の為1983年現在地に移築され、1986年11/12日、国父の誕生日に合わせ竣工祝いを行なった。
1946年に「国父史跡紀念館」に、1998年には台北市歴史建築指定、更に「国父史跡館」に命名変更された。館内には、孫文の関係文物史料、写真、サンフランシスコ在時に使用した執務用の机、椅子等が展示されている。床の間に掛けられている額「博愛」は、1913年宿泊時に「大和宗吉」に贈られたものです。

⇒「ペンションBC悠遊村」移動ボタン

教育の聖地 「芝山公園」★★☆

「芝山公園」★★☆

ペンション悠遊村の散歩コースに教育の聖地と言われる「芝山公園」が有ります。ここに設立された国語塾「芝山巌学堂」を舞台に1896年(明治29年元旦)に日本人教師6人と小使1人が土匪に惨殺される「芝山巌事件」が起きています。殉職者=関口長太郎(38歳) 平井数馬(18歳) 楫取道明(39歳) 井原順之助(24歳) 桂金太郎(27歳)中島長吉(27歳)
日本統治に反対する叛乱勢力が元旦を期して台北を攻撃するという事は事前に予測されておりました。教育に命を懸けていた教師達は「芝山巌学堂」から避難することをせず、襲撃を受けた際には、ひるむことなく教育の重要さを必死に説いたという事です。

このような彼らの教育に対する情熱、精神は多くの人々に感銘を与え、その精神は芝山巌精神と称されました。芝山巌は“教育聖地”と讃えられ1930年(昭和5年)この地に「芝山巌神社」が創建され六氏先生をはじめとして、台湾教育に殉じた人々が祀られた。 当然、台湾人教育者も含まれています。

国語塾「芝山巌学堂」は1895年(明治28年)日清講和条約で台湾の割譲を受けた、そのわずか数か月後の7月に開校されている。これには当時、文部省学務部長心得であった伊沢修二の、教育を最優先すべきとの具申を初代台湾総督樺山資紀が受け入れたと云う事だ。

ペンション悠遊村の有る士林という地名は広辞苑を見ると「士」=学問、道徳などを身にそなえた尊敬に値する人物、「林」=樹木が沢山集まって生えているところ、とある。地名由来と関係が有るのか無いのか学校の実に多い地域だ。

写真↴

士林官邸

ペンション悠遊村からの散歩コースに大都会台北の喧噪とは別世界の空間が日本時代の園芸試験場跡地にあります。そこは初代総統蒋介石と宋美齢夫人が愛した邸宅と庭園跡です。
椰子の並木道、趣きの違う庭園、バラ園、蘭の栽培室、果樹園など、一巡りするだけでも数時間は必要な広さです。園内には朽ちかけた日本時代の建物や、蒋ファミリー専用の教会が現存しています。官邸は時間帯で開放されております。

官邸

教会

西洋庭園
椰子並木

中国庭園

日本時代の建物
庭園

「ペンション悠遊村」サイトへの移動ボタン

「忠列祠」 ★★★

「忠列祠」 ★★★
忠列祠は台北のランドマークの一つ圓山大飯店が有る剣潭山の裾野にあり、辛亥革命、抗日戦争、国共内戦の戦いで戦死した約33万人の兵士の霊を祀っています。

陸、海、空から選抜された兵士が交代で大門と大殿の守護を担当し1時間ごとに行われる衛兵交代セレモニーが有名です。任務に就いたら最後、1時間は微動だにしません。
このセレモニーは青年節(3/29)、軍人節(9/3)、悪天候を除く毎日おこなわれています。

この儀式は厳粛に行なわれておりますので、観光客も脱帽するなどのマナーは必要です。残念な事に心無い観光客が衛兵に触るなどの行為が頻発するため儀仗兵の周りにバリケードが作られました。
軍服の青は空軍、白は海軍、グリーンは陸軍です。
未確認情報
情報では衛兵交代の形式が変更になるという事です。
現在の交代セレモニーは陸海空が1時間交代で担当しています、それを6か月交代でやるという事のようです。1月~6月は陸軍、7月~12月は空軍、私の好きな海軍は来年の1月にならないと見れないという事です。
「ペンション悠遊村」サイトへの移動ボタン

猫空 ★★★   茶料理「月邀」

猫空 ★★★

猫空へお客様のアテンド。ご希望が有れば御客様と一緒に遊ぶ、これが悠遊村の特徴かな? 「ガイド付きのペンション」と、宿泊者には好評(自画自賛^-^)。
お茶はもちろん「お茶料理」でくつろげる美味しい店がありますよ。この店の「お茶料理」は最高においしいですよ。猫空は地元の美味しいお茶と夜景を楽しむ人達でケーブルは満員。



台北の超有名な観光地「猫空」の山は緋寒桜が満開です


ペンション悠遊村サイトへの移動ボタン⇒「ペンションBC悠遊村

「士林夜市」★★☆

「士林夜市」★★☆
台湾には各地にいろいろな夜市が有り、なかでもペンション「悠遊村」から15分程に有る「士林夜市」は台北一の規模と言われている。
人混みをさけてゆっくり「士林夜市」を楽しみたい方は、屋台の準備が始まる3時頃から沢山の人で賑う6時頃までが一押しです。ゆっく散策できますよ。


故宮博物院★★★  世界四大博物館のひとつ。

「故宮博物院」 ★★★  

定番の観光コースでは有りますが台湾に来れば一度は訪れておきたいところですね。MRT士林から路線バスに乗って簡単に行けます。悠遊村からは散歩がてらに30分も歩けば到着します。

MRT士林下車 1番出口を出てまっすぐ直進100m バス停有り。沢山のバスが故宮に行ってますが間違いの無いバス選びは「255」「255区」「紅30」です。

「ペンション悠遊村」サイトへの移動ボタン

PS。  
中華民国政府が台湾へ亡命する際に北京故宮博物院から精選して運び出された60万8985点に及ぶ美術品が展示されています。
博物院では3カ月に1回の割合で展示品の入れ替えがされているが、全ての所蔵品を見るためには8年余りもかかると言われています

MRT淡水線圓山を歩く  「林安泰古厝」

「林安泰古厝」 ★★
圓山駅を降り美術公園を抜け更に新生公園に向かい東に歩くと福建式の四合院建築が目に入ります。もともとは迪化街の敦化南路に一七八三年に竣工された林氏の豪邸であった。
都市再開発の為 10年の歳月をかけ当地に移転されました。

近隣の観光名所↴


台湾の最高学府群

「台北帝国大学正門守衛室」 現・国立台湾大学。
東京、京都、東北、九州、北海道の各帝大に続き6番目の帝国大学として1928年(昭和3年)に設立され当初は文政学部と理農学部の2学部でスタートをした。
校門入口から椰子の大通りがまっすぐ伸び突き当たりに図書館、左右に校舎が配置されている。台北大空襲(S20.5.31)の被害から免れ開校当時の変わらぬ姿を保っている。
【建物】1931年(昭和6年)竣工。市定古跡。
【設計】総督府営繕課
【場所】MRT公館駅徒歩5分。台北市大安区羅斯福路4段1号。


年中、前庭に花が咲き乱れ建物の美しさが更に引き立っている「台湾大学行政大楼」
【建物】1928年(昭和3年)竣工。市定古跡。
【設計】総督府営繕課

荘厳な雰囲気のする「台湾大学文学院」
【建物】1929年(昭和4年)竣工。市定古跡。
【設計】総督府営繕課


巨大な建築物の「台湾大学図書館」
【建物】1929年(昭和4年)竣工。市定古跡。
【設計】総督府営繕課


「台北州立台北工業学校・紅楼」 現・国立台北科技大学。
台湾の工業大学の最高学府であり、数多くの企業家を輩出している。日本の東京工業大学と云ったところか。この建物は日本時代図書館書庫として使用されていた。
【建物】1918年(大正7年)竣工。市定古跡。
【設計】
【場所】MRT忠孝新生徒歩5分。台北市大安区忠孝東路3段1号


「旧制台北高等学校・講堂」 現・国立台湾師範大学
1922年(大正10年)創立、旧制高校全38校の内、最も南に位置する学校だ。
前々総統の李登輝、実業家の邸永漢、生物地理学者の鹿野忠雄氏らが卒業生に名を連ねている。台湾中のエリートが集まる学舎で、卒業生は東大、京大に進学した者が多い。
【建物】1929年(昭和4年)竣工。市定古跡。
【設計】井出薫。
【場所】MRT古亭駅徒歩10分。台北市大安区和平東路1段162号。


日本の昔が残る中正区を歩く

台北駅から忠孝東路を東に歩く事15分程で不思議な空間に出くわす。日本酒の醸造工場跡地が芸術家や文化活動を支援する場所として再開発された「華山1914」だ。

名前の華山は初代台湾総督華山資紀の由来だと推測しています。そして、この一帯には日本の香りのする建築物がけっこう残っています。「青島街」「斉東街」「泰安街」「銅山街」「台大法律学院」「台北州知事公舎」「台北科技大学紅楼」などがそれだ。

これらの散策で疲れた足を園内のカフェで休ませるも良し、バイキングスタイルの青葉新楽園で腹を満たすも良し、台北市内で趣向の変わった一日が過ごせる場所です。秋葉原のような光華市場も近くに有ります。

「華山1914」
「青島街」
「斉東街」

「泰安街」
「銅山街」
「台大法律学院」
「台北州知事公舎」
「台北科技大学紅楼」
ペンション悠遊村サイトへの移動ボタン⇒「ペンションBC悠遊村

台北探索館 ★★★

「台北探索館」 ★★★
台湾の今昔を一気に理解できる場所が台北市政府(市役所)の中に有ります。「台北探索館」、半日ここを見学して台北にくりだすと又、違った台湾の顏が見れますよ。

日本軍の台北入城
1895年の下関条約調印後、清国側の外交的動きの中で生まれた 「台湾民主国」国旗。
萬華の賑わい。
裕仁親王1923年(大正12年)4月、軍艦金剛で台湾を視察。