2012年12月4日火曜日

鉄道ローカル線の旅 「平渓支線」

「平渓線」 ★★★
日本のマスコミで取上げられた鉄道路線「平渓線」はレトロ感覚が満喫できる支線です。
「平渓線」の魅力は車窓に移る山川の素晴しさ、レトロ&ノスタルジックな空気、老街を散策し人々の生活を垣間見る・・・・。この路線を楽しむには1日行程では無理だろうな~。

台北からは東部幹線の宜欄or花蓮行き列車で「瑞芳」迄1時間程度、「瑞芳」~「菁桐」間が40分程度ですので片道2時間程度の鉄道旅になります。台北からは「七堵」を過ぎた辺りから車窓の景色が田園風景になります。

《平渓線の駅名》
「瑞芳」「侯硐」「三貂嶺」「大華」「十分」「望古」「嶺脚」「平渓」「菁桐」

「瑞芳」
乗換駅、ホームで一日周遊券が買えます。駅前の「美食街」に当地名物の大きな筒状の鍋に貼り付けて焼く「胡椒餅」屋さんがある。当駅ホームには昔懐かしい駅弁売りがいます。
「侯硐」
当駅でも「1日周遊券」が販売されている。最近は猫村が売りの人気駅です。
駅前には「選炭場廃墟」が有り、石炭輸送の為の路線だった事が分かる。基隆河に沿って上流へ10分程度歩くと15軒ほどの集落が有る。村入口に「侯硐神社」の表示が有り急な50~60段の石段がある。しかし頂上附近には神社跡は無く休憩所のような物があるだけだ。頂上より逆方向へ降りてゆくと数段で朽ち掛けた木の鳥居、さらに数段下には石の鳥居がある。この田舎までは国民党官吏の目が届かなかったのか、破壊は免れていた。


「三貂嶺」
平渓線と宜蘭線の分岐駅です。
はほぼ1時間1本の運行で、全行程40分程度の汽車旅行になります。「台北」駅から「瑞芳」駅迄は1時間程度ですので片道2時間程度の旅です。
「侯硐」からは4分の乗車時間で着いた。歩いても良い様な距離だ。
訪れた時は、駅員2名、それとプラットホームの補修工事とトイレの新築をしている15名ほどの作業員、そして観光客の私1人だ。この駅は宜蘭線の分岐駅になっており、「平渓線」には「瑞芳」以外にここからの乗換えも可能だ。
改札らしき所を出ると「三貂嶺古道」の看板があり、その矢印方向に線路沿いの整備された歩道を進むと2~3戸の民家が有った。案内板によると、古道をさらに進むと3つの滝がり、小学校も有るそうだ。この山間の小学校に生徒がいるのだろうか?行ってみたくなったが、少し時間が足りない次回に。眼下からは、せせらぎの音、透き通った水、糸を垂らしている釣師きれいな美味しい魚がきっといるのだろう。次回は1日ぐらい時間を掛けて、古道を歩きたい。

駅舎で電車を待っていると駅員が日本時代の「トンネル」跡が有るのを教えてくれた。渓流の対岸の山肌にそれは確認できた。隊道入口には第7代総督「明石元二郎」揮毫の「至誠動天地」の文字が有るという事だが確認はできない。タイムスリップした様なこの小さな小さな駅舎の壁には防空訓練の額が掛けられています。

この1時間半の間に当駅を利用した客は地元民1人、この駅で「平渓線」に乗る事を選んだ親子4人連れ、1人のオバサン、そして私を入れた合計7人。この親子の観察で結構時間がつぶれた(笑)。
顔は中国系、親同士の会話は英語、親子の会話は北京語。私の推察・・・親は英語圏のチャイナタウンで生まれ育ち、子供は台湾で育ったのだろう。どうでも良い事だけど。

この駅はホームが長く、ホームから数10m先は両サイドともカーブになっている。また、分岐駅だからだろうか、この小1時間だけでも4~5種類の電車が通過した。撮鉄マニヤが喜ぶスポットが一杯有り、「瑞芳」駅の駅弁を買って、ここで写真を撮りながら一日過ごすのも悪くないだろう。


「三貂嶺」から終点「菁桐」までの区間は小雨がよく似合う美しい渓谷美が私達を慰めてくれる。この線に寄りそうように流れる基隆河の水はエメラルドグリーンです。そして美しい物には棘が有るの例えのように幾つもの瀧をかかえている。

「大華」
「三貂嶺」~「大華」間は渓流が線路に沿ってながれており心が癒される美しい景色が車窓一杯に広がります。
この駅から「十分瀑布」を観光し線路と並行する老街に独特の情緒が有ることで有名な次駅「十分」までのトレキングも面白いコースです。

「十分」
道路、線路、民家が平行線に並んでいて柵が無い。なぜか50~60年前に、タイムスリップした様な感じがした。至近距離で列車が通過する横で、何事も無いように生活する人々、私はこの雰囲気大好きだな~。昔懐かしいラムネを飲んだりして、老街(古い街のことをこういいます)をひとしきり楽しんだ。「十分瀑布」は安全面に問題が有るとして、裁判所の営業停止命令書類が貼ってあった。

戦後、大陸からやってきた国民党が日本の痕跡を消す為、土中に埋めた石碑が掘り起こされました。この地の戦後教育を受けた人達は、この石碑が掘り起こされ始めて、この一帯の開発を日本が行った事実を知ったようだ。この石碑の所有者は「国民党政府は台湾の歴史を全然教えなかった。我々は自分の国の歴史を殆ど知らない」と嘆いていました。

「望古」
「嶺脚」
プラットホームが全体的に湾曲している。
「平渓」
路線の名前になっているだけの事はあって大きい町だ。日本時代の面影を残す木造建築が軒をならべる老街がある。老街の入口に橋が有り偶然に見上げた10mほどの陸橋を列車が通過する。なんと写真撮影に成功、衰えたとはいえ自分の反射神経に大満足。

橋を渡り右に曲がると緩やかな坂道、左手に有る郵便局の前で、若いカップルが「天燈」を上げている。旧暦元宵節には、数多くの「天燈」が夜空を舞うようです。気球と同じ仕組みだね。

「菁桐」
車中では東京から訪れた初老のご夫妻との楽しい会話もあった。数日前の毎日新聞に「平渓線」が掲載され、思わず来てしまったとの事。「集集線」同様マスコミに取り上げられている、静かなブームである事を願ってます。
この駅舎は台湾で保存されている、4つの日本式木造駅の一つであると紹介されていたが?。
1929年建築だから80年前の建築物だ。よくここまで大事に保存されているなと、感嘆すると共に感謝だ。



線路の柵沿いに「願いが叶う筒」と云われている無数の竹筒がぶらさがっている。
《説明文》1960年代、ある鉄道員とアイスキャンディ屋の娘が線路の柵を隔てて恋をした。その恋物語をイベント業者がバレンタインデーのイベントにし現在も続いている。

改札を出て右手に進むと小さな老街、更に歩くと「民生橋」。橋のたもとを下っていくと、最初に日本時代の建築物「太子賓館」があった。日本時代は鑛業会社の社員訓練所、その後、佛教関係の修行所になり現在は修復工事中だった。
さらに進むと日本家屋が数戸有り、独特の雰囲気を醸し出していた。悲しい事に放置されたままで、崩壊寸前の家もある(酒井法子のポスターが貼られている)。
日本家屋を利用したコーヒー館があり、休憩したが、観光地料金だった。



「平渓線」
1921年に「台湾礦業株式会社」の石炭運搬用列車の専用線として施設された事から始まり、現在は私設鉄道から台湾鉄道局の所有となっております。
【台湾の鉄道】
台湾海峡側を走る「西部幹線」、太平洋側を走る「東部幹線」、南部の大都市・高雄から台東までの「南廻線」、この3幹線が台湾を一周しており、それに「内海線」「平渓線」「集集線」の3支線が有ります。(新幹線と阿里山森林鉄道は別会社)
【天燈の歴史】
諸葛孔明が発明したといわれている。三国志の時代は治安が安定しておらず、盗賊の襲撃を避けるため山中に身を隠した人々に盗賊が去った事を報せる合図に使っていた。そこから「天燈」は平安の象徴となり、願い事を記し、空に飛ばすようになった。