2012年6月9日土曜日

明石元二郎の墓前に立っていた鳥居

林森北路と南京東路の交差点に面した「林森・康楽」公園に国立台湾博物館(二二八和平公園)の敷地内から2010’11月、13年振りに里帰りしていた。移築は地元、康楽里の里長「王金富」氏の発案を地元市会議員が奔走し実現させた。発案者の里長は、墓の縁故者であろう沢山の日本人がここを訪れていた過去を知っており、昔を偲ばせる物が設置したかったという事だ。

大きい鳥居は第7代総督「明石元二郎」の墓前に建っていたもの。小さい鳥居は第3代総督乃木希典の母「寿子」の墓前に有ったと言われているが、柱には昭和10年という刻銘、それと子供の頃、墓地を遊び場にしていた地元の老人は乃木希典総督の母の墓前には鳥居は無かったと証言しているので別人のものと推測された。


その後、研究者の調査により大鳥居は第8代総督「田健治郎」によって、「明石元二郎」総督の1920年の忌日に合わせ建てられた事が確認され、小鳥居のほうは総督の秘書官「鎌田正威」の物だと、古い写真や地元の古老の証言から確認された。又、墓地には3基の鳥居が有ったが1990年代には2基になっていた。
公園は清朝時代は兵舎、日本時代は第3代総督乃木希典の母「寿子」が1896年ここに埋葬されて以来、日本人専用墓地(三板橋墓地)になった。戦後は大陸から来た軍民によって占拠され1000軒を超すバラックが建っていた。1997年台北市政府(陳水扁市長時代)に、バラックは撤去され公園として整備、墓地は掘り起こされ、多くは台中の宝覚禅寺(金色の大仏で有名)に埋葬された。明石元二郎の遺骨は楊基銓・劉秀華 夫妻により台北県三芝郷福音山クリスチャン墓地に改葬された。
「明石元二郎」総督は大演習視察の為の一時帰国中の洋上で病気になり、郷里福岡で亡くなりましたが、遺言に従い遺骸は台湾に埋葬された。歴代総督のうち唯一、台湾に埋葬された人となる。

二二八和平公園に鳥居が有った時は、プレートは鳥居の様式説明であったが、ここでは史実を忠実に記したプレートが立っている。


【明石元二郎 1864~1919】
第7代台湾総督(1918/6月~1919/10月)。陸軍大学卒業。陸軍近衛師団参謀、フランス・ドイツ・ロシヤの公使館付武官、韓国憲兵隊司令官、総督府警務総長など歴任。
ロシア革命支援工作を画策し日露戦争を優位に導いたと司馬遼太郎の「坂の上の雲」に記されている。
台湾総督時代は下村民政長官とコンビで、華南銀行設立、台湾教育令発布(日本人と台湾人が平等に教育を受ける)、日月潭の水力発電所の事業確立、台湾電力株式会社設立、司法制度革新、中部海岸線鉄道開設、東西縦貫道路開設、公設質舗制度実施、などの政策を成し遂げた。

【乃木寿子】
第3代総督「乃木希典」の母。
1896年12月マラリヤにより死亡。
皇后陛下が台湾はマラリヤが蔓延しているので、台湾同行を止めたとも伝え聞く。

【乃木希典】
台湾総督在任期間(1896~1898)乃木希典は母親まで同行し本気で台湾を統治するつもりだった。母親の同行はその決意の現われだったが原住民の抵抗が強く思うようにいかず責任を取って辞任する。