2011年11月1日火曜日

「芝山公園」

「芝山公園」★★☆

ペンション悠遊村の散歩コースに教育の聖地と言われる「芝山公園」が有ります。ここに設立された国語塾「芝山巌学堂」を舞台に1896年(明治29年元旦)に日本人教師6人と小使1人が土匪に惨殺される「芝山巌事件」が起きています。殉職者=関口長太郎(38歳) 平井数馬(18歳) 楫取道明(39歳) 井原順之助(24歳) 桂金太郎(27歳)中島長吉(27歳)
日本統治に反対する叛乱勢力が元旦を期して台北を攻撃するという事は事前に予測されておりました。教育に命を懸けていた教師達は「芝山巌学堂」から避難することをせず、襲撃を受けた際には、ひるむことなく教育の重要さを必死に説いたという事です。

このような彼らの教育に対する情熱、精神は多くの人々に感銘を与え、その精神は芝山巌精神と称されました。芝山巌は“教育聖地”と讃えられ1930年(昭和5年)この地に「芝山巌神社」が創建され六氏先生をはじめとして、台湾教育に殉じた人々が祀られた。 当然、台湾人教育者も含まれています。

国語塾「芝山巌学堂」は1895年(明治28年)日清講和条約で台湾の割譲を受けた、そのわずか数か月後の7月に開校されている。これには当時、文部省学務部長心得であった伊沢修二の、教育を最優先すべきとの具申を初代台湾総督樺山資紀が受け入れたと云う事だ。

ペンション悠遊村の有る士林という地名は広辞苑を見ると「士」=学問、道徳などを身にそなえた尊敬に値する人物、「林」=樹木が沢山集まって生えているところ、とある。地名由来と関係が有るのか無いのか学校の実に多い地域だ。

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国語塾「芝山巌学堂」は「芝山巖惠濟宮」の後殿を使って開設された。戦後、惠濟宮の住職は国民党によって破壊されていた六氏先生之墓跡から遺骨を密かに移し、小さな石塔を建てて長い間守ってくれました。
戦後、倒され放置されていた伊藤博文揮毫の「學務官僚遭難之碑」
立て直された状態の良い「故教育者姓名碑」。台湾人教育者の名も刻まれています。

周辺には破壊され放置されている碑が数個あり、これも歴史を物語るものとして貴重な資料です。
芝山巌の頂上に建立された殉職「六氏先生之墓」。
芝山巖學堂が開設されて百年目の1995年(平成7年)後身の士林国民小学校の卒業生有志によってお墓は再建された。
開校3か月後の(1895年明治28年)10月19日には第一期学生7名が卒業しております。
PS.
台北宿泊は日本人夫婦が経営するペンション悠遊村( http://longstay-you.blogspot.com )。