2011年11月30日水曜日

番外編 「和風中国料理」


台湾では日式料理という看板をそこら中で見ますが、日本にも有りましたよ、こんな看板が。

和風中国料理


2011年11月25日金曜日

「悠遊村」スパゲティ

悠遊村」スパゲッティ
冷蔵庫整理の野菜スパゲティーとはいえ本当に美味しいですよ!。一緒に悠遊村で食べませんか。
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日本の秋  「雪迎え」「小春日和」

日本の秋は美しい!!!!。
紅葉が始まりました。
 実りの秋
 寒椿? さざんか?

 
東北地方では秋晴れの日に「雪迎え」という現象が今年も起きた事だろう。空中に伸ばした何千ものクモの糸が太陽の光を受けキラキラ光りながら空中を浮遊する様をゆうそうだ。それはそれは神々しいまでの美しさらしいです。
この雪迎えが過ぎると厳しい雪の季節が訪れます。震災に遭われた方々の冬準備は完了しているんでしょうか?。来年はこの光景を心穏やかに鑑賞できる状況になって欲しいですね。

今日はぽかぽかとした気持ちの良い日和でした。晩秋から初冬にかけての穏やかで暖かい陽気の日々を春に似ている事から「小春日和」と言うらしいです。
お隣の中国ではこのような日和を「小春の陽気」というようなので、これも中国伝来の言葉かな?。その他では、インディアン・サマー(アメリカ)、老婦人の夏(ドイツ)、聖ルカ祭の夏(イギリス)、女の夏(ロシヤ)などが同じ陽気を表現する言葉らしいです。


「普茶料理」

「普茶料理」坂口楼 ★★

江戸時代初期中国福建省から禅宗の一つである黄檗宗の伝来と一緒に伝わった中国式の精進料理が普茶料理である。法要や仏事の終了後に僧侶や檀家が一堂に会し、茶を飲みながら重要事項を協議する茶礼に出された食事が原型となっている。

一つの長方形の座卓を4人で囲み、一品ずつの大皿料理を分け合って食べるという様式が非常に珍しがられた。料理においても中国風のものが多く、巻繊・油磁・雲片・「もどき」料理などがある。
こうした普茶料理は、精進料理というよりは異国情緒を味わうものとして黄檗宗の寺院ばかりでなく、料理屋や文化人など、民間でも広く嗜まれた。

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2011年11月18日金曜日

友引に友来る

2011.11.18.(金、友引)大阪より悠遊村の激励に友人が宿泊に駆けつけてくれました。感謝!。

ウエルカムドリンクで乾杯写真↴

2011年11月17日木曜日

悠遊村プレオープン

10月末から今週の中にかけて日本から大勢の観光客が台湾にお越しになられました。日本の皆様の熱気が台湾に伝わったのか、秋風が吹き始めていた台北も夏に逆戻りの熱さでした。

事前に気候の御問合せを受けた方には秋風が吹いてますよとお答えをしていたので、慌てて半袖をご購入された方もいたようです。台湾の消費アップに少しは貢献したようです(アハハハハ)。

本日は悠遊村のプレ・オープンです。台北シャングリラ・ファーイースタンプラザHのフロアーマネージャーご夫妻にお泊りいただいて最終チェックをしていただきます。

悠遊村写真↴



2011年11月8日火曜日

原住民族産業博覧会

ツオ族の若者と










花博跡地で開かれている「原住民族産業博覧会」に行く。原住民族の間にいろいろな日本語が残っているのを聞いて親近感が増す。
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2011年11月4日金曜日

林森公園に有る日本式鳥居

台北林森公園に大小の日本式鳥居が有る。第7代総督明石元二郎とその秘書官鎌田生威の墓前に建てられていた鳥居です。
一時期は228公園に建てられていたが、今は「三板橋共同日本人墓地」現在の林森公園に移築されている。
公園前には日本語の喋れる老板娘のいる天仁銘茶店があります。サービス満点です。



天仁銘茶の店内


PS.
台北宿泊は日本人夫婦が経営するペンション悠遊村( http://longstay-you.blogspot.com )を、ご利用ください。

2011年11月1日火曜日

「芝山公園」

「芝山公園」★★☆

ペンション悠遊村の散歩コースに教育の聖地と言われる「芝山公園」が有ります。ここに設立された国語塾「芝山巌学堂」を舞台に1896年(明治29年元旦)に日本人教師6人と小使1人が土匪に惨殺される「芝山巌事件」が起きています。殉職者=関口長太郎(38歳) 平井数馬(18歳) 楫取道明(39歳) 井原順之助(24歳) 桂金太郎(27歳)中島長吉(27歳)
日本統治に反対する叛乱勢力が元旦を期して台北を攻撃するという事は事前に予測されておりました。教育に命を懸けていた教師達は「芝山巌学堂」から避難することをせず、襲撃を受けた際には、ひるむことなく教育の重要さを必死に説いたという事です。

このような彼らの教育に対する情熱、精神は多くの人々に感銘を与え、その精神は芝山巌精神と称されました。芝山巌は“教育聖地”と讃えられ1930年(昭和5年)この地に「芝山巌神社」が創建され六氏先生をはじめとして、台湾教育に殉じた人々が祀られた。 当然、台湾人教育者も含まれています。

国語塾「芝山巌学堂」は1895年(明治28年)日清講和条約で台湾の割譲を受けた、そのわずか数か月後の7月に開校されている。これには当時、文部省学務部長心得であった伊沢修二の、教育を最優先すべきとの具申を初代台湾総督樺山資紀が受け入れたと云う事だ。

ペンション悠遊村の有る士林という地名は広辞苑を見ると「士」=学問、道徳などを身にそなえた尊敬に値する人物、「林」=樹木が沢山集まって生えているところ、とある。地名由来と関係が有るのか無いのか学校の実に多い地域だ。

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国語塾「芝山巌学堂」は「芝山巖惠濟宮」の後殿を使って開設された。戦後、惠濟宮の住職は国民党によって破壊されていた六氏先生之墓跡から遺骨を密かに移し、小さな石塔を建てて長い間守ってくれました。
戦後、倒され放置されていた伊藤博文揮毫の「學務官僚遭難之碑」
立て直された状態の良い「故教育者姓名碑」。台湾人教育者の名も刻まれています。

周辺には破壊され放置されている碑が数個あり、これも歴史を物語るものとして貴重な資料です。
芝山巌の頂上に建立された殉職「六氏先生之墓」。
芝山巖學堂が開設されて百年目の1995年(平成7年)後身の士林国民小学校の卒業生有志によってお墓は再建された。
開校3か月後の(1895年明治28年)10月19日には第一期学生7名が卒業しております。
PS.
台北宿泊は日本人夫婦が経営するペンション悠遊村( http://longstay-you.blogspot.com )。